2010年12月12日

村上弘「『大阪都』の基礎研究−橋下知事による大阪市の廃止構想−」を読もう(その9)

7 大阪都構想の政治過程 − ポピュリズム型首長

 ここまでの筆者の記述が大きく誤っていないとすれば、「大阪都」つまり大阪府が大阪市を吸収合併するという提案は、大胆ではあるが、合理的根拠が薄くかなり一方的なものである。もし大阪の発展を純粋に願うなら、知事はまずそのための戦略的な都市整備、経済振興などの政策を具体的に打ち出し、それを大阪市等との間で議論し調整していくべきだろう。
 政策立案・論争を進めるのではなく、一挙に「邪魔になる」自治体の廃止を提起するのは、一般の堅実で合理指向型の首長の場合には、考えられない言動である。

 とはいえ、そうした激烈な提案を知事が打ち出し、かつ世論調査によれば府民のかなりの支持を得ているのは、ある意味で驚くべき現象だ。
 ここでは、小泉首相で注目されるようになった「ポピュリズム」型の政治スタイルと、有権者の支持の構造を探るための枠組みを提示してみたい。

 ポピュリズムの多様な定義から共通項を引き出すと、今日のポピュリズム概念が重視する特徴は、第1に政治リーダーが個人的な人気やカリスマ性を備え、政党組織などを経由せず、マスメディアを使って直接に民衆に訴えかけること。
 第2に政治的問題を単純化したり、非合理的なスローガンや利益配分によって巧みに訴えかけるということであるようだ。有権者には、意見・質問を述べたり議論するのではなく、拍手喝采することのみが期待される。

 ポピュリズムと民主主義の関係はどうか。一方で、ポピュリズムは独裁体制と明らかに異なり、自由で競争的な選挙、言論の自由などの原理を侵害することはない。民主主義の枠内での現象である。
 他方で、民主主義の理念を、市民の主体的な参加や、多元的な政治勢力間の競争と議論・審議に見出す立場からは、受動的な大衆にリーダーが一方的に働きかける「劇場型政治」としてのポピュリズムには、かなりの違和感がある。
 ポピュリズムは、しばしば「大衆迎合政治」と訳されるが、「敵」を激しく攻撃し人々を扇動して支持を集める政治スタイルが流行している点を考慮すると、「大衆扇動・迎合政治」という訳の方が適切だ。いずれにせよ、「衆愚政治」というイメージに近い。

 次に、ポピュリズムの単純化、非合理化された政治的アピールの内容について考えてみよう。
 1つの典型例は、人気取りのために、むやみに利益をばらまくことである。しかし、近年目立つのは、民衆の「敵」を設定して、これを攻撃する戦略だ。
 これらの2つのタイプを、それぞれ「ばらまき型ポピュリズム」と「攻撃型ポピュリズム」と名づけておきたい。

 「ばらまき型ポピュリズム」は、政策的な合理性なしに人々に利益を供与するスタイルである。これに該当する可能性のある事例としては、2000年代後半におけるいくつかの自治体首長による減税や、麻生内閣における「定額給付金」がある。
 合理的な理由づけができるとすれば、ポピュリズムの枠組みから除外することができるが、例えば「高速道路無料化」などは、自動車の利用者にとっては喜ばしいが、輸送費用の軽減や観光客の増加による地域振興のメリットと、渋滞や公共交通の衰退、地球温暖化、財政面のデメリットとを比較するならば、政策上の合理性は疑わしい。

 後者の攻撃型は、リーダーが人々の利益のために「既得権」などの「敵」と戦うというストーリーを強調する。
 たとえば、小泉首相が郵政民営化を進める際に、その効果や弊害の予測よりも、郵政事業に携わる公務員の削減と自民党内の「抵抗勢力」との戦いを訴えた手法が、記憶に残る。
 2005年の衆議院選挙では、「26万人もの郵政国家公務員の既得権を守って、どんな改革ができるというのか」「郵政民営化=小さな政府で、脱・役人天国」というように、公務員という「敵」を打破することが、国民全体の利益になるというイメージを用いて、強烈な宣伝が行われた。
 また、自民党内の「抵抗勢力」つまり民営化反対議員に対しても、その小選挙区に別の公認候補を立てるという異例の対抗策を取り、国民を沸かせ、自民党は歴史的な大勝を収めた。

 また、2008年、「子供が笑う大阪」等を訴えて明るいイメージで当選した大阪府の橋下知事は、今や「大阪都」構想で大阪市の自治を否定しようとしているが、それまでにも、いくつかの攻撃型ポピュリズムと呼びうるかもしれない言動で、府民の注目と支持を集めてきた。
 大阪府民の「敵」と見なされたのは、学力テストの情報の開示を控える教育委員会、伊丹空港の存続派、自治体に直轄事業負担金を負わせる国の出先機関など、いわば「中程度に強い相手」であり、これらを知事は順に、激しい言葉も交えて叩いてきた。
 それが終わったあと、また知事の関西州構想が他府県の反対で進まなくなったあと、大阪市への批判を本格化させたのである。

 次に、この2種類のポピュリズムの社会的な、および政治家にとってのメリット・デメリットを考えてみよう。
 ばらまき型は、歳出の膨張または歳入の減少を伴う。歳出の膨張は、財政難の現状下では、たやすくマスコミや世論の批判の的になってしまうが、減税など歳入の減少は一定の支持を広げる可能性がある。

 攻撃型ポピュリズムは、「敵」を感情的に、過度に攻撃することになりがちである。問題を単純化して、合理的な検討や本当の解決策から目をそらさせるデメリットがある。(政治家にとってはメリットにもなる。)
 新自由主義的に、市民全体にかかわる福祉や教育予算を削減する可能性もあるが、むしろ、大きな政府から利益を得ているとされる「既得権」を攻撃することが多い。具体的には、公務員・議員の数や給与の削減、特定団体への補助金のカット、業界を守るような規制の緩和などが推進される。こうしたポピュリズムが行き過ぎると、政治行政システムのかなり重要な部分の解体につながりうることは、大阪市を廃止する大阪都構想や、少数意見を排除しかねない、大幅な議員定数の削減提案を見れば明らかである。

 反対に、ポピュリズム政治のメリットを探すとすれば、政治を分かりやすくして人々の政治的関心を高め、投票率が上がるという点と、リーダーの政治的影響力を強め、「改革」が進めやすくなるという点だろう。
 ただし、これらはデメリットと裏表の関係にある。マスコミや市民が政治や政策について思考を停止したり、強力なリーダーに政治を委ねてしまうおそれもあるわけだ。

 一方、政治家の立場から考えると、今日、政治家がもし政策をまじめに推進しようとすれば、抵抗にあったり、予算などの資源が不足したり、あるいは政策を実施しても約束した効果が実現しない場合がある。
 2010年、民主党政権は、マニフェスト公約の「こども手当」の実施を半分程度に抑えたが、日本の有権者(やマスコミ)は財政制約の中で半分実現したと評価するよりも、「公約違反だ」と非難することも多い。有権者の目は、具体的な政策や公約に対しては必要以上と思われるほど厳しい。

 それに比べて、「敵」を攻撃するタイプのポピュリズムは、たとえ政策上の効果がすぐに得られなくとも、あるいは効果が判明しないゆえに、少なくとも「何かやっている」「懸命に努力している」という印象を与え、「争論・対決している」という点で注目を引くことができる。
 「敵」を指定し攻撃するという方法は、関係者の利害を調整して政策を立案し、その根拠や内容を説明し、さらに実施に移す作業よりも、複雑な政治を有権者にとって「分かりやすく」する(分かった気分にさせる)のである。
 ただし、攻撃型ポピュリズムの戦略は、中途半端では失敗した時のリスクが大きく、軽蔑されることもある。

 橋下知事の政治スタイルには、次のような特徴があるように思える。
○大阪の財政的、経済的危機を強調し、政治家のリーダーシップにより、それを打開できるというイメージを強調する。
○前述のように、「中程度に強い相手」を順に、府民全体の「敵」として批判してきた。この場合、相手の意見に寛容に耳を傾けたり、複数の提案をしたり、交渉したりはしない。
○具体的な政策や達成目標の約束、詳しい説明は、あまり重視しない。
○一般の人々に広く不利益を与えるような政策や負担増は、「少なくとも目立つ形では」行わない。ナショナリズム的な発言も控える。
○支持友好勢力である府会与党や経済界との関係に、配慮している。
○演説や発言は、当意即妙の弁舌力で、過激な言葉を用いて、マスコミや人々からの注目度を高める。
○大阪都についての説明に見られるように、具体的な説明を避けることがあるが、「大阪維新」「ONE大阪」などのスローガンを用いた単純化で、分かりやすい印象を与える。(統計情報を恣意的に説明するなど)情報操作を行なうこともある。

 改めて解説するほどではないが、こうした政治スタイルを成功させれば、「味方」の支持基盤を固め、一般の人々に対しては漠然とした期待を与えつつ「敵」を叩くリーダーシップと力を誇示し、知事が「敵」と指定した勢力に打撃を与え、さらに知事を批判する可能性のある人々やマスコミ等に一定の威嚇を与えることができる。政策公約の未達成を批判されることもない。政策構想があいまいな部分は、「敵」への明快な攻撃によってカバーできる。

 もちろん、こうした一方的・強権的な政治スタイルは、多くの人が議論好きで、あるいは権力への警戒心やリベラリズムの価値観を持つ社会なら、かえって批判され、嫌われるだろう。しかし、「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」「勝てば官軍」「口は災いの門」といったことわざがある日本では、むしろ支持・黙認が集まる可能性がある。

 これまで見てきたように、ポピュリズムの特徴を、政治家個人のリーダーシップの強調と、政治的主張の単純化・非合理性に見出すとすれば、政治的主張の単純化・非合理性とは、具体的には次のようなかたちで現れるだろう。
(1)政治的方針を従来の一般的な用語で説明せず、独自のスローガンで美化する。(例:小泉首相は、改革理念を「小さな政府」ではなく「構造改革」と呼んだ。)
(2)政治的方針の根拠の説明が不十分であったり、そのデメリットに言及しない。
(3)追求する目的と比べて「敵」を過剰に攻撃したり、不必要で過剰な手段を選ぶ。
(4)従来の(または諸外国の)政策と異なるのに、その点の資料や説明がない。
(5)専門家の多数意見と食い違い、かつそれを正当化する理由の説明を欠く。

 これらの特徴の多くは、現段階での「大阪都」構想にも当てはまるといってよい。この論文で試みたような、欧米を含めた国際比較、大都市自治の意味の検討、具体的な政策シュミレーション、データに基づく多面的な検討が望まれる。

 橋下知事などの思考に見られる特徴の1つとして、専門家・専門知識への不信がある。たとえば、知事は自著で「政治家にも学歴なんて全く必要ない。かえって高学歴な人は怪しいと思うよ。学歴は事務を処理する人間に必要なもの。そう、役人とかね。誰もが発想もしないような大決断が必要とされる政治家は、そもそも事務処理能力を鍛える大学へのレールなんか乗れないよ。」と信条を述べている。
 専門家の側にも欠点はあるだろう。けれども、専門的知識を軽視することは、政治・政策の非合理性や一面性に繋がりやすい。

 これは、政治家の説明責任の回避という問題にもなる。ポピュリズムでは、ワンフレーズの単純化スローガンや、感情に訴える表現が多用される。
 確かに、政治家には説明責任は法定されていないし、それが適当でない事情もあるだろう。しかし、単純化されがちな「大阪都」のテーマを追っていると、やはり十分な議論のためには、政治家が説明責任に留意するか、政党間で活発な議論がされるか、あるいはマスコミ等がしっかり対応することが必要だと感じる。
 政治家の単純化戦略を受けて、マスコミがそのまま流すのでは、一般の市民は検討の材料が不足し、感覚的な判断に陥ってしまう。マスコミが問いを発する機会と準備、そして独自の分析をする「解説力」を高めることが望まれる。



結より
 この記事の次節として「8.マスコミの『解説力』の不足と世論調査の改善」に繋がりますが、このブログでは8節は省略します。内容については、元論文を参照ください。


 この記事での紹介は、コンパクトな紹介を試みるため、元の論文にある精緻さに欠けます。また、わたしのヘマで、元の論文とズレの出ている部分もあるかもしれません。
 もし、この紹介の論文について、興味をお持ちいただけたなら、こちらから元論文をどうぞ。
posted by 結 at 03:28| Comment(2) | 概要 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
橋下知事は、府民をどのように捉えているのでしょうか?
名古屋の市長や愛知県知事候補の掲げる「中京都」と全く一致しているなんて、どう考えてもおかしいのですが、マスコミも府民も無反応です。

大阪都も中京都も、中身が見えないから、マスコミとしては突っ込みにくいのは、理解できますが、中身が見えないのに、選挙の争点としようとしていること自体に、冷静に突っ込むべきだと思います。

朝日新聞の報道では、20日に名古屋市長が大阪市内の維新の会に参加するとのことでしたので、わかりやすく中京都を聞き出してほしいと思います。
Posted by minato at 2010年12月17日 13:57
 わたしは、中京都構想についての議論は、興味深くみています。
 政令市と府県が協調していくために、政令市の解体は必要ないというモデルを提示することになるのではと思っているのが、ひとつ。
 もうひとつは、中京都構想が、2月の愛知県知事選などに向けて、内容が出てくるにつれて、その対比として、大阪都構想はどういうものかの説明が求められるのではないかと思っています。
Posted by 結 at 2010年12月18日 03:48